一章 慈愛の混沌
「美味しい......!知識としてならば知っていましたが、人の食は、甘味はここまで進化しましたか......!」
先ほどまで全てを射抜きそうだった沖田の瞳はキラキラと子供のように輝き未だ見ぬパフェの下層への想像を巡らせ、嗣音は嗣音でここが異界であることも忘れカレーに舌鼓を打っていた。
「それにしてもファミレスはあるんだ......。」
財布の通貨に描かれている人物などは地味な差異が表れていた。どうやら世界を移動する際にその辺りの改変も同時に行われているらしく、この店から走って逃げなくとも支払い能力に問題は無さそうだ。
「飲み物持ってくるね、このカレーちょっと辛くて。」
人間の味覚の平均も多少違うのだろうか。細かい場所ばかり違っていると、むしろ完全に違う文化に放り込まれるより戸惑うことも多そうだ。ドリンクバーには、別段変わったところは......
「あの、少しよろしいでしょうか?」
「ええ、なんでしょう......あっ」
背後から掛けられた声に殺気が追い付いて、嗣音は死が背中を撫でてにやついたのを感じる。しかし、刹那口元にクリームを付けたまま駆けつけた剣の速さがその予感を搔き消した。
「失礼、マスター。警戒を怠りました。サーヴァントです、下がって。」
「あらあらまあまあ、そんなに警戒なさらなくとも今の私に戦意はありませんのに。その証拠に、私もこのようにマスターを相伴していますので。この間合いで斬り合えばどちらも無事というわけにはいかない。でしょう?」
そう話す長身の女サーヴァントの陰から年端もいかないような少年が顔を出す。
「ママ、あの人たち誰......?」
サーヴァントを母親と呼ぶその少年の右手には令呪が浮かんでおり、そして彼は明らかにこちらに怯えている。好戦的な様子は微塵も感じられない。
「チッ、どうしますマスター。罠やもしれませんが......話に応じますか?」
「うん、今はそうするしかないみたい。ねえ、サーヴァント。場所を変えない?」
「元よりそのつもりです。では参りましょうか。」
場所は子供も多く遊ぶ、人の目の多い市民公園で。彼女たちの提案に嗣音達は同意した。周囲を巻き込み目撃者の増加を厭わない戦いに臨むような性質は今のところ、感じられない。それにしても、かのサーヴァント。長身に豊かな胸、少年へ向けた慈愛に満ちた笑顔。初めて見た顔ではないような気がする。そう、あのゲームの......思い出せない。
「では、そろそろお話を始めましょうか。」
「......はい。して開戦の他に何の用件で?」
「では単刀直入に。貴方達と、いや全てのマスターと私は出来れば戦いたくはありません。しかしお話が通じるマスターの方があまりいらっしゃらないようですから。貴方達お二人だけでも私どもには手出しをしないで頂けませんか。」
「......何ですって?」
沖田の表情が目に見えて険しくなった。聖杯戦争において、願いを捨て戦意を完全に放棄するサーヴァントなどあり得ない。腰の刀を一瞥し、嗣音にアイコンタクトを送る。
「言葉にはお気を付けて。敵を前に剣を抜かないというのも、人斬りには我慢が必要なのです。」
「おやおや、怖いですね。何も無条件にとは言いません。若し約束いただけるのならば、私の真名をお伝えしましょう。どうです。悪くはないとは思いませんか。」
確かに、殆ど無条件に敵の真名を把握出来るというのは好条件ではある。しかし、言外に彼女は伝えているのだ。「真名を知られたところで、お前などに負ける気はしない」と。
「セイバー、やめよう。多分、今の私たちじゃ勝てない。そんな気がする。」
何か、形を結ばない記憶の破片のようなものが嗣音の脳内で警告を発している。彼女は規格外な強さを持っているような、そんな気がしてならない。
「わかりました、マスターがそこまで仰るなら......今は収めましょう。して、貴方の真名は。」
「サーヴァント、バーサーカー。名を源頼光と申します。どうぞ以後お見知りおき下さい。」
「源......頼光......!」
数多くの怪物退治、その逸話を持つ、神秘すら滅ぼす平安の英雄。思わず対する二人は息を飲む。
「成程......その隙の無さは人の理の、武士道の通じない物の怪との闘いから。合点がいきました。どうやら、今は退く他無いのは確かなようです。マスター、行きましょう。」
「......では、失礼します。」
「そうだ、お二方。〝紅い外套のアーチャー〟にはお気をつけて。」
「......忠告感謝します。」
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「薫、こちらへ。」
年幼いマスターを呼ぶバーサーカー。その眼は間違いなく母のものだが、しかしその目線はサーヴァントとマスターという関係上、決定的に間違っている。
「ママ、あの人たち何だったの?」
「うふふ、私の可愛い薫。何も心配はいりませんよ。貴方に近づく悪い虫は、私がみんな母が潰して差し上げますからね。さ、また遊んでいらっしゃい」
「私の願いは、既に叶っているもの。あとはこの平穏を、ただ守るだけ。」
一人静かに笑う彼女の瞳は既に隠さず、女の色を浮かべていた。
一章 数寄者屋の工房
基山零士は魔術師であった。いつか至るべき根源への到達、その入り口は限りなく狭い。しかし既に還暦を迎えようとする彼の所作は、「焦りが足りない」と言われても仕方がないものであった。研究を継ぐ子も無く、今日も一人で茶を点てている。少なくとも素人目にはそう見えるものだ。
詫び寂び。足りぬものにこそ充足を得、閑静の中に豊かを求める。彼の根源への道程はその身に宿った属性をあらゆる種類の魔力を取り込む事により拡散させ、虚数、あるいは無へと近づけ、果ては彼の肉体の魔術回路を根源と直接繋げることにある。そしてそれは代々繋いできた理想という訳では決して無いのだ。その証拠に彼はその身に魔術刻印を背負ってはいない。それは彼が新規に魔術師となったことを意味せず、彼が師である親に「そんなものはいらない」と言い放ったが故である。今では遠縁の者を養子に迎え研究を再開していると風の噂に聞いたが、そんなことは既に勘当された彼にはどうでもいいことであった。
子を設けないのはその必要が無い為だ。親の資産を受け継がないのは、目指すものに届くまでに遠すぎる道であるからだ。彼こそはたった一代で根源に挑もうとしている異端。彼を隠居老人などと呼ぶ者も多いが、彼の野心は間違いなく一流であった。茶の湯すら、己の道を違えぬための標として使っているに過ぎない。
「ほう、わしのマスターは老体のようじゃの。然し平行世界を移動したという異常にその無感動、少々ボケが入っているのではないか?」
突然現れた軍服姿の少女にも殆ど目をくれず、静かに彼は疑問をぶつける。
「私の茶室はそのにじり口の他に入口は無い筈ですが......。茶室に刀とは頂けませんね。」
「フン、何が茶室じゃ。この空間の全てがいやらしく魔術の工房として機能しているではないか。それに茶器は中々だが、その茶。何だそれは?『人間の中身』で酒を飲むことはあったわしだが、流石に人間の中身を飲む趣味は分からんぞ。」
「成程。お見通しとは恐れ入りました。お聞きしましょう。貴方が何者で、どこから来たのかを。」
「あっはっは!どこから来た、じゃと?教えてやろう。わしがお前をここに喚んだのだ。この悪趣味な茶室ごとな。まあこんな変わり種が来るとは分からなんだが......それと自己紹介がまだだったの、我こそはサーヴァント、アーチャー。第六天魔王波旬、織田信長じゃ!」
「サーヴァント、ですか。そんな輩がどうして私を。」
「その右手を見てみい。」
基山はその手に刻まれた令呪を一瞥して、つい舌打ちを漏らす。自分の身体に不純物たり得る魔力の塊が居座っている。聖杯戦争。そのマスターとして戦い抜き勝ち抜けば自身の途方もない求道、その研究は完成すらするやもしれない。しかし、彼の目指す形である道から少しでも逸れるその異物を許すほど、彼は寛容にはなれなかった。
「我が令呪、全てに命じます。今後この三画を単に魔力のリソースとして我がサーヴァントである織田信長に譲渡し、その使用権も彼女に一任すると。」
唱えると同時に、彼女の手の甲に三画の同じ形状の令呪が浮かんだ。
「ぬおおおおおおお!感じるぞ力を!ねえ見て格好いい?もしかして我今凄く格好いい?......じゃなくて。お主、阿呆か?」
冷たい声色と共に彼女の名刀の切っ先が魔術師の喉元に迫る。
「構わないでしょう、何故そう怒るのです。私はここにいます。貴方に干渉はしません。貴方は、貴方の求めるもののために動けば良いというものでしょう。」
「フン、聞かせよ。お主の願いは何だ?」
「少なくとも貴方の持っているものでも、貴方の傍で叶うものでもありませんよ。」
「成程、わしに一人で戦えと?」
「魔力のパスは不本意ですが繋がっています。危なくなれば令呪もあるでしょう。何より私を呼ぶようなサーヴァントですから。どんな条件でも負けるつもりなど毛頭ない、でしょう?」
「かっはははははは!全く。良かろう、是非も無し!わしゲームとかでも単騎で輝くキャラだもんねー!」
曲者二人の笑い声だけが、茶室を満たす。紛れもない雑音ではあるにしろ、それを止める野暮は誰もいなかった。
サーヴァント アーチャー 織田信長
マスター 基山零士
契約成立
序章 形而上の飢餓
花一匁という言葉もあるが、3.75gの見えない何かを誰もが常に気に掛ける。その身の軽さに、男アラン・リンドバーグは辟易しきっていた。「何のために生き、死ぬのか」その問いに答えを出すことは自分には出来ない。生命の価値。自分が持っていて、且つ手放す気のないものに値段はつけられない。手放して初めて彼らはこぞって三途の川の渡し賃すらその代金と代えようとするだろう。
「是非教えてくれないか。いくら出す。」
森の奥深く、人気もない中。死体の山に話しかけるのも別段空しくは感じない。狩り残し、起き上がって向かってくる連中もここには少なくないからだ。もっとも、会話ができる知性も売りに出してしまったように見えるものばかりだが。
「聞かせろ、それは命か?」
放った右の拳にさほど力は込められていない。故に亡者は無警戒に突っ込み、そして綺麗に塵となって霧散した。両の拳に刻まれた聖刻。痛みを伴った儀式で手に入れただけあって、その浄化の法に抗う力は死人にはない。事実、彼はその拳を気に入っている。死者と生者を分ける絶対。これを手に入れる為だけに死霊魔術に対抗する封印指定執行者になった。現に死を認めない悪足掻きに傾倒する魔術師を彼は好かない。
この軽さは、どうすれば飛んでいかないものか。この身体と魂を繋げる紐は、どうすれば強く太く結べるものだろう。恐怖とまではいかないにしろ、それが出来ないもどかしさが徐々に身体を支配していく。仕事の後はいつもこうだ。突然、馬鹿馬鹿しくなって自嘲気味につい、零す。
「実は私は、死にたがっているのか?」
【愚か者め】
心臓に至るまでの皮膚、筋肉、骨の全てを剥がされ剝き出しにするような声が響いた次の瞬間、彼の意識は急速に明滅し、そしてそれはこれから永い暗黒へ彼を連れ去るような予感を生んだ。
「死ぬか、なるほどあっけない。」
【未だ早い 異教の徒よ 我が後に在りし救えぬ狂信と共に学べ】
最後の景色は静かに燃える1対の青い炎とそれを眼に灯す頭蓋、それに巨大な――
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「信仰が為、幽谷の淵より死を持って参った。サーヴァント、アサシン。ハサン・サッバーハである。」
先に見た巨大さは見る影もなく、まるで少女のような声をしたその小柄の剣士が、しかし圧倒的な死の気を纏い、意識も朦朧としたままの彼に語り掛けるのだった。
序章 人造の生命
生命とは。生物学的に、なんて野暮な考え方をしてしまえば、全ての生命は次世代へ種を繋ぐための機構だ。しかしヒトなどという物好きな生き物は、必ずしも生物的なゴールで満足をするとは限らない。理性、や生きる意味、などと大層な言葉を掲げては無意味な娯楽に邁進していく。人によってそれは魔術という神秘であり、そしてその目的は「自分に紐づけされないイノチを創造する」などといった神の真似事であったりもするものだ。
たった今、その造られた命が棄てられようとしている。
ここはとある地下の施設。一見ただの貯水槽だが、そこは失敗作の人造人間を投棄、分解し魔力として還元するための装置である。既に「先客」で満ちているその空間にただ一人意識を持ったホムンクルスが投げ落とされた。
彼女に名前はない。強いて言えば識別番号はどこかに書かれていた気もするが、彼女にそれを認識する気など初めからなかった。意識はあるものの彼女は全ての事象に起動時から関心を表さなかったため、失敗作と見なされてこのプールに運ばれて来たのである。下層から溶けていっているらしい同胞の身体のおかげで、粘着質な分解液が背中を濡らし始めたころ。彼女に初めて感情らしきものが生まれた。
「憎い」
正確に言えばそれは彼女のものでなく、既に形も残っていない同胞の残留思念のようなものであるが、彼女からすれば初めての感情だ。判断できようはずもない。既にそれを失った感情たちが寄りかかるべき命を目指してうぞうぞと集まってくる。
「あ、ああ、あぁ......!」
既に人からは不要とされた者たちの怨嗟。それが絵の具の全ての色を混ぜたような醜い黒を帯び、彼女の文字通り白紙を滅茶苦茶に汚していく。次に彼女が学んだのは痛みへの恐怖と逃避への願望であった。空の身とはいえここには自分とほぼ同質の魔力が満ちている。感情とともに流れる微量のそれを感じていたのも相まって、かなりの量の魔力を確保することに成功した。その足で岸に上がって数瞬、彼女は未だ魔術師の庭の一部にいることに気づく。
逃げなければいけない。否、逃げたいのだ。自分は。同胞を、自分をこのような目に遭わせた復讐の機を得るために。「人並み」の幸福の実現、そのために。考えなければ。魔術工房というものは当然魔術師の秘中の秘。侵入と、それから技術の盗難の防止のため罠の山だ。ここに来るまでの間に箱の中で感じたその解除に時間を費やしたとされる停止がそれを物語っている。それに捕まるのはいけない。ここまで来て、人間に使われるために戻るなど許してなるものか。
しかしここで彼女に限界が訪れる。かつてない思考と感情の奔流、対価としての疲労は当然のものだった。ふらりとよろめいたかと思えば、先ほどまで浸かっていた死の貯水槽へと足を滑らせてしまう。
「嫌だ、私は――死にたく、ない!」
彼女の機能が停止するその瞬間、魔術工房に極大の魔力反応が検出されたが、いかなる異常も認められず結局観測機の異常と片付けられた一幕は、この世界の人間では誰の記憶にもそう長く残ることはなかった。
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「何だ、俺のマスターは......何も身に着けていないではないか。やはり俺という英霊には持たざる者こそがふさわしいという事だろうか。」
場所も変わって暗い林の中。横たわる人形のような少女の傍には男が立っていた。
「名乗るのも今は無駄なようだ。」
真っ白な肌をした痩身の男。その身体には黄金の鎧がぴたりと張り付いており、胸元には赤い宝石が埋め込まれている。
「そうだな、裸では流石に寒いだろう。しかし俺も生憎脱げるものが無いものでな。この鎧も求められるならば与えられるのも悪くはないが......こういったことを勝手にすれば、誰ぞに「重い」など誹りを受けかねんらしい。何よりこの娘には今のところ、口をきく勝手がない。」
ならば、と彼は少女を抱えて歩き出した。
「暫く歩けば人の気配程度はしてくるだろう。それまでは我が槍の熱で温めよう。それなりの魔力は使うが、許せ。」
彼は正直なところ、魔力を炎とし放出している槍を常に出現させ得るこの少女の貯蔵量に驚いていた。そして、同時に湧き上がる此度の戦いへの期待も少なくない。
「しかし、このままでは目立つか......?マスターが起きるのはいつになることか。」
サーヴァント ランサー ???
マスター 【ホムンクルス(識別番号18-5E)】
契約成立
序章 出遭い
「もし、マスター。起きてください。」
鈴を転がすような声で幻聴が聞こえた。
「うるさい、私は一人暮らしだ幻聴め。」
大体、何故自身を二度傷つけるような幻聴をわざわざチョイスするのか。精神面でそこそこの打撃を受けたとはいえ、私の脳はそこまで自分すら慰められないほど空気の読めないものか。全く私というやつは――
「全て口に出ていますよマスター。加えて、私は幻聴ではありません。」
とにかく、今は身体を起こすべきだ。眠るのにも体力が要る。毎日のように健康的な睡眠を摂っている人間にはふて寝すら許されない。それにしても右手が少し痒い。虫にでも刺されたかな。
「......え?」
顔の前にかざした彼女のその手には見覚えのある、刺青のような模様が刻まれていた。「令呪の三画だ」と気付いたその瞬間、彼女の視界は現実から逃避するためにピントをずらした。そこにおおよそあるはずのない60兆もの情報の塊が待ち構えているのも知らず。
「起きられましたか。サーヴァント、セイバー。沖田総司。勝手ながら私が貴方を喚ばせて頂きました。どうぞよろしくお願い致します。」
「え?」
「失礼、先ずはお名前を伺っても?」
「あ、えっと......神崎嗣音、です」
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「なるほど、じゃあ夢じゃないと。だけどここは私のいた世界でもないと。そこまでは分かりました。」
「理解頂けて何よりです、机に頭を叩きつけ出した時はどうなるかとも思いましたが......。」
彼女からすると、今でも夢の中......と言うより妄想に囚われてしまっているのではないかという恐怖が心内の半分を占めているのが正直な話なのだが。
「あの、一つ聞いていいかな。私、魔術の心得なんて全くないんだけど......君を現界させていられるのって、どうして?」
「その事でしたか。初めに私が『私が貴方を喚んだ』と言ったのは覚えていますね?」
彼女の言うには、今回のそれは聖杯戦争としては特殊な条件下にあり、はぐれサーヴァントとして現界した7騎がそれぞれの求める条件に合ったマスターを並行世界から召喚するというシステムであるようだ。その際、魔術の素養のない人間にも平均的な魔術回路が身体に組み込まれるようで、慣れない内はそれに痛みを感じることもあるが我慢してほしいとのこと。
「巻き込んでしまったのは申し訳ありません。ここで参加するもしないも貴方の自由。もしも貴方の意にそぐわないのであれば、ここで私を自害させるなどすれば令呪はあなたの腕から消え失せ、戦いに巻き込まれることはありません。」
「ちょっと待って、私、並行世界から呼び出されたって話だったよね?貴方が死んだら私は帰れるの?」
「いえ、それは定かではありませんが......元来戦う事を放棄するとは、何もかもを諦めるということではありませんか?」
さらりと口から出た英霊の死生観に嗣音は足の裏血液が一滴残らず逃げ出したような気がした。彼女と私では生きた時代も人生の温度も違う。戦火にあてられ傷をもって叩かれ鍛えられたその心の切っ先に触れるには、嗣音は脆すぎる。
「じゃあ、もう一つ聞かせて。貴方が私を選んだと言うけど、それはどうして?」
「さあ。自身の深層にあるものを読み取って聖杯が連れてくるもの故にどうにもはっきりとは申し上げかねますが、しかし、私のマスターには私と共に戦いたいという心持ちであって欲しい。それこそ、最後まで。私はかつて戦い抜くことができなかった。共に戦う仲間に恵まれながら。次はそちらに恵まれず二度その煮え湯を飲むくらいならば、私は死にます。ですから貴方を信じます。聖杯の選んだ貴方はきっとそのような人間であると。どうです。」
「......それは、分からない。私は死の傍に身を置いたこともないし、人を殺したことも無い。けど、私はあなたを欲してた。あなたと一緒に戦いたいと思った。それは事実。まぁ、ゲームの話だったんだけどね。でもこうなった以上、あなたと戦うことに異存はないよ。役に立つかわからないマスターだけど、よろしく。沖田さん。」
初めは「ゲ、ゲーム......」と血を吐きそうな顔をしていた沖田だが、嗣音の差し出した右手はすぐに握り返された。
サーヴァント セイバー 沖田総司
マスター 神崎嗣音
契約成立